精神分析は人を救わないのか

今、催眠でもっとしっかり治療に活用するため、精神分析を再勉強してます。

そう言うふうにしているきっかけとなった出来事が以前にあったので、ここで個人情報がわからない程度に書いておきます。

治療していたのは、パーソナリティー症がある患者さんで、自傷行為がなかなか止まらないという患者さんでした。

パーソナリティー症を治すということに関して、精神分析という治療が効果を発揮すると言うこともあったので、患者さんと一緒に治療をどうするかを考えて、その方も精神分析で本格的に治療してもらいたいとの希望がありましたので、広島のある精神分析をやっている機関に紹介しました。

実は、その機関に、昔この方を紹介したことがあります。

広島の精神分析の特徴なのか分かりませんが、精神分析として発達症は適応ではないということで、発達症でないことを徹底的に調べて発達症でないパーソナリティ症であるという人だけを治療すると言うのがルールになっています。

この方は、それに当てはまったため、以前の治療では集団精神分析的治療を導入されました。
しかし、その方は、人に気を遣ってしまうと言う特性があって、集団の治療では、自分のことをさておき、人の話がどんどん進むように自分ではなく他の患者さんを優先してしまうと言うことをしてしまい、結局集団の治療では、自分の中にある闇の部分を表出することができないのがしんどくなって治療をやめてしまったという経緯があります。

その教訓を生かして、今回、精神分析をやるなら個人分析にしてほしいと言う旨の紹介状書き、持参して再度その精神分析をやっている機関へと行ってもらいました。

以前おられた分析医の先生はおられず、新しい分析の先生が赴任されていたのですが、
初診の際、患者さん曰く、とにかくやりたくないオーラを前面に出し、
「あなたは分析をやっても良くならない」
とか
「あなたに精神分析をやる意味はない」
など散々なことを言われ拒否されて帰ってこられました。

患者さんが私の元へ再度来られ、
「断るにも、言いようがあると思う。そんな言い方をされて悔しい。患者の気持ちが全然わかってない」などを涙ながらに言われました。

一部の分析家だけだと思いますが、精神分析を「分析可能」な人のための特別な治療として扱い、自分の行う特定のアプローチにそぐわなそうな人を排除するのはどうかと考えます。

こちらも、喧嘩売られたようでカチンと来たので、その患者さんには、
「僕は精神分析を正式に訓練したわけではないので、普通の精神分析はできないけども、精神分析的催眠療法はできるので、それをやってみよう」ということで、精神分析的催眠療法を行なっています。

精神分析的催眠療法においても、心の痛みを伴いますが、潜在意識の深いところで、相手の気づきを促すようにして、現在は大きな事象行為もなく過ごせていて、少しずつ心の成長を遂げているようです。
まだ、治療は続いていきますが、その方を拒否することなく、本人が満足するところまでフォローしていきたいと思う次第です。